いま世界の環境ビジネスの最先端で問われているのは、技術やコストもそうですが、意外にも長期のビジョンを語ること、だったりします。ビジョンなんかがカネになるのか?と突っ込まれそうですが、その背景には今の時代ならではの事情があるのです。
一言で環境ビジネスと言っても、再生可能エネルギーから水処理、砂漠化対策や大気汚染対策、土壌改良やごみ焼却炉など、守備範囲がものすごく広いのですが、話を分かりやすくするために、いわゆる静脈産業と言われる廃棄物処理の分野に限って説明します。
この分野では、どこの国でも法律による規制があり、その中でできるだけコストをかけずに安全・安心を提供することが求められます。ごみの収集・運搬から分別、焼却もしくはリサイクルと最後には埋め立て処分が続くのですが、規制のため使える技術はおのずと限られ、誰がやっても同じような成果しか出ない、というパターンになりがちなのです。これは洋の東西を問わずほぼ普遍的に見られる現象です。
そのような市場環境に対して、技術に優れた日本企業が提案してしまいがちなのが高度な仕様です。小型で省エネ、高効率な技術をこれでもか、と投入しようとします。ところが、そもそも規制事業なので基準値以上の過剰な仕様は求められませんし、エネルギーや触媒など投入資源の原単位が少し減らせるから、と言ったところで初期投資コストが高いと話にもなりません。すなわち、仕様やコストの世界で勝負する、という絵が非常に描きづらい市場環境にある、ということなのです。
他方で、世界的に見れば規制をかける側(すなわち行政)そして市場が強く要求するようになってきたのが社会善へのコミットメントです。それが金融の世界にまで波及効果を及ぼしつつあり、大規模な投資を伴う案件においてはその多くに対して環境・社会・ガバナンスに関するコミットメントを語ることが求められるようになってきています。
国連が提唱する「2030年のための持続的開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)に象徴されるように、この流れは強まることこそあれ当分の間弱まることはないでしょう。すでに欧米の企業の間では、まず社会善を尊重するビジョンを語り、そして実行するという流れがごく当たり前のものとなりつつあります。逆に言えば、この部分のコミットメントに注力することで無用な価格競争を回避できる可能性も見えてくるのです。
意図してそのような価格競争回避の戦略を描くことで、事業の収益性自体を改善できるとしたら、それは意義ある取り組みと言えるのではないでしょうか?これまで日本企業はたとえ大手でも最大5か年の中期計画以上のビジョンを持たない、と揶揄されたものですが、この際10年後あるいはさらにその先の未来を語ることで、市場に攻勢をかけるという選択肢が現実味を帯びてきたと言えます。特にオーナー企業の場合は、超長期のビジョンであっても堂々と語れるだけの素地があるので、ぜひ取り組んで市場対策に役立てて頂きたいと思います。